【政治目標】
東かがわを次の100年に残る街へ

東かがわ市は4年前の令和元年には2万9000人の人口を擁していましたが、現在は2万7000人を下回っています
4年間で2,000名の人口が減じたのです。
20年後には人口が1万5000人になり、65歳以上が約60%を占めるという予測を東かがわ市が出しています。
事業所数も過去10年間で200ほど減じており、一見お先真っ暗の状況です。
限界集落の定義(65歳以上人口が50%以上)に東かがわ市は2~5年以内に当てはまるようになりますが、今なにもしなければ、確実に東かがわ市は都市機能・共同生活機能を維持できなくなります。

では、今なにをするべきか?
人口回復の条件として「働き口」の確保が急務です。
日本のみならず、歴史を見てみると仕事のある場所には自然と人々が集まり、仕事が無くなれば都市は衰退し、やがては廃墟となります。
長崎県の軍艦島や北海道の夕張市、アメリカではデトロイトなどが例に挙げられます。
これらは産業構造の変換に対応できなかった結果、衰退しました。
東かがわ市も同様に、室町時代からは南海道と瀬戸内海海上交通の要衝として機能し、江戸時代は米・塩・砂糖の産業で栄え、大正以降は縫製と漁業の養殖で多くの雇用を創出しましたが、近年は産業戦略を欠き、これといって替わる産業もなく、先人たちの遺産を食いつぶしながら縮小再生産を続けるのみになってしまいました。

郷土が栄えたのは先人達が新たな産業をもたらしたからであり、次の世代の食い扶持をつくるのは今を生きる我々の責務です。
過去から続けてきた当たり前のことを我々もやりましょう。
全ては次の未来のために。

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白鳥に手袋産業をもたらした棚次辰吉

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